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加賀百万石の歴史が生んだ、文化としての毛針
<目細八郎兵衛商店>の加賀毛針

加賀百万石の歴史が生んだ、文化としての毛針
<目細八郎兵衛商店>の加賀毛針

金沢は加賀百万石の城下町として発展したことは周知の事実ではあるが、小京都とまで呼ばれるほどに、当時の面影を残す街並みが続いている。江戸時代の情緒が残っているのは街並みだけではない。この街には、確実に“江戸”が残されている。それも大事に。その一つの象徴が「加賀毛針」だ。440年余りの歴史を持つ<目細八郎兵衛商店>は、その加賀毛針の伝統を頑なに守り続けている老舗中の老舗だ。

「そもそもは、縫い針を作り始めたのが最初だったのですが、その針を加賀藩に納めていました。定かではありませんが、初代の八郎兵衛が縫い針の針を通す穴を細長く通しやすくしたところから、“目細(めぼそ)”という名前を加賀藩からいただいたという説が有力じゃないかと思っております」。
そう語るのは、19代目の社長で現会長の目細伸一さん。

「前田利家公が入城された頃は戦国時代でしたが、江戸時代になると戦乱も収まり平和な時代になりました。ですが、ここは百万石の加賀藩、武士としての鍛錬を大っぴらにやると幕府から謀反の疑いありと目をつけられてしまう。そこで考えられたのが、釣りでした。釣りは歩きにくい岩場を行くなど心身鍛錬になるということと、金沢には犀川と浅野川という恵まれた環境があることも理由の一つでした。ただ生餌ですとつけたり外したりも大変ということで、餌の代わりになる疑似餌、毛針が考案されたのです。しかもこの毛針は元々縫い針を変形させて作ったため、“返し”という刺さった針が抜けにくくなる加工がありません。それだけ精神集中しなければならないのです」。
武家と加賀の街との接点から生まれたのが“加賀毛針”ということになる。

「江戸幕府も“加賀の侍たちは釣りばかりしている”と安心していたそうです。ただ、毛針での釣りは集中力を鍛えることができるという加賀藩の思惑があったことは確かです。天候や時期、水温など様々な要素を加味しながら、その日どの毛針を使うかが名人の技の一つにもなっていました。いわば、魚と人との知恵比べといったものでした」。
現在、毛針は750種類にも及ぶとされ、一つ一つに趣のある名前がつけられている。この日本版ルアーは、今も連綿とその歴史を刻みつつ、この地の人々の生活に根ざしているのだ。

毛針の“青”は神秘を湛える

毛針の数々を見ていると、そのカラフルさに目を奪われる。
「昔は落ち着いた色が多かったようですが、現代はカラフルになりました。ピカピカ光るラメをわざと入れたり、マムシといったヘビの皮なども使います。そして青い毛針を作るときには、孔雀の羽を使って光沢感を出し、少し濁った水中でも光を放つことで、魚たちに餌だと思わせるときに使います」。
この毛針を実際に作るのは女性だという。

「元々は戦時中男性が戦地に行ってしまったため、家計を支えるために内職として女性がやるようになりました。毛針はものすごく小さいものですが、その過程はとても複雑です。とても細い針に、何重にも糸や毛などの材料を巻きつけ色合いを調整したり、足の部分や羽らしく見せかける加工をしなければなりません。女性の繊細さが毛針作りには向いているのでしょう。そんな中、女性からのアイデアで毛針作りの技術を活かした、帽子の羽飾りやブローチ、イヤリングなどのアクセサリーを加賀毛針の新しい形として作り始めました」。

伝統を守りつつ、新しい可能性に挑戦する。400年以上の歴史を持ちながらも、しかしそこに安閑とせず、進化を続けようという姿勢。それはOCEANUSにとっての“青の革新”という命題にも通じるような気がするのだった。

Text: Y.Nag | Photography: Masashi Nagao

目細八郎兵衛商店

天正三年(1575)創業で縫い針や加賀毛針の製造販売を行う。加賀藩から認められたその技術は今でも多くの人を魅了し加賀を代表する伝統の一つとして受け継がれている。

石川県金沢市安江町11-35

電話:076-231-6371

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