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ロマンティックな科学
柔らかなテクノロジー
慶應義塾大学理工学部准教授 牛場潤一氏

ロマンティックな科学
柔らかなテクノロジー
慶應義塾大学理工学部准教授 牛場潤一氏

今回BLUE MOTIONS編集部が訪れたのは、脳科学と理工学的テクノロジーの融合を目指す研究を推し進める慶應義塾大学理工学部の牛場潤一准教授の研究室だ。

牛場先生の研究とは

「“人間の脳の柔軟性を科学すること”です。例えばけがや病気のせいで傷ついた脳でもある条件が整えば、新しい物事を学習することができ、そのことによって、たとえば半身不随になった方のための新しい脳治療の方法が見つかると考えています。それくらい実は脳というのは柔軟なのです」。
どれくらい柔軟なのですか?
「脳が新しいことが覚えると、替わりにほかの機能が失われるのではないか、とよく聞かれますが、そんなことはありません。人間の脳は重層的にできていて、複数の機能を重ねるように記憶し、場面や状況におうじて色々と機能を切り替えられます。脳の能力は総量が決まっているのではなく、フランス語とスペイン語を両方とも覚えて、それを切り替えながら利用できるような、重層的な構造になっているのです」。
なぜそのような考え=アイデアが生まれてきたのだろうか?
「もともと人工知能などの勉強していたのですが、機械には絶対なくて、人間にしかないものは何かと考えていたら、”柔らかさ”に鍵があるのではと思うようになりました。学生時代の専攻は応用物理でしたが、人間の本質を知るには脳を知らなくてはと考えて、志願して医学部の授業も受けたいと。先端医工学の方向に向かいました。指導の先生に頼み込んで医学部でも勉強するようになり、医学部の授業の後で医局に入り浸って研究をして、それを理工学部に持ち帰ってさらに検証をするというような生活でした」。

一つの分野にとどまるのではなく、より多角的に物事を捉えようとする姿勢。今や”学際”という言葉で、学問の領域の壁を取り払おうという試みが多く見られるが、実際に領域を超えるというのは並大抵のことではないのかも知れない。
「医学部の先生たちに認めてもらうために医学も猛勉強をして、医局が主催する解剖学の試験でもトップを取るまでになって、やっと“こいつ本気だ”と認めてもらえるようになり、そこから研究もどんどんと進み始めました」。

学際は国境をも超える

「最近、研究でよく行くのはドイツです。ところで、なぜ海外に行くのか?と聞かれることがよくあります。スカイプやパソコンでもできるのにと。研究機材だって、下手するとうちの方が上等だったりする。しかし私は、それぞれの研究者の背景にある、その人のフィロソフィーまでをしっかり理解したいと考えます。実際のところ日本でも同じような実験はできますが、ヨーロッパで生活し、ディスカッションしながら研究すると、なぜこんな研究をやろうと思っているのかを体感できるようになります。
例えば、ドイツは数百年前の建物の中に研究室があり、街や大学自体にも大変な歴史があり、数年くらいの変化は誤差の範囲というくらい、長い歴史と時間のストリームの中で考えをめぐらせたり、日々の生活を営んでいたりする。そこに宗教的要因も加わって、極めてヒューマンセントリック(人間中心)な考え方があります。アメリカは対照的によりテクニカルで効率を重視しているようにみえます。そういったことを、現地に行って自分の肌で感じ取ることが研究においても大事だと考えています。相手としっかりした信頼関係を作る、という実務上の意味だけではなく、じゃあ日本のカルチャーに触れながら生まれ育ってきた自分にこそできる研究ってなんだろう、と深く考えるきっかけにもなりますから。グローバル化が進み、ITが発達して実務的なツールの均質化が進んでいるからこそ、こうした感性こそが大切になってくるのではないでしょうか。日本はというと、四季の移ろいのなかで順応して生活する、しなやかさやたおやかさに惹かれる傾向がありますよね。傷ついた脳の機能を機械に置き換えてしまうのではなく、脳そのものを癒す私の研究も、そうしたことがきっかけになっているように感じます」。
それぞれの国の環境、歴史、文化といったものの総合がひとつの科学の中に結実していくという意味で、国境をこえることで新たなアイデア、異なった視点が見つかるのだろう。

尻尾は何を語るのか?

牛場研では、尻尾の実験を行っている。これは本来人間に備わっていない尻尾をモニター上に擬似的に出現させ、脳波を使ってそれをコントロールするように訓練するという試みだ。
「最初にお話ししたように、人間の脳はとても柔軟性があります。そこで、普段引き出されていない能力を開発できるのではないかと考え、脳の柔らかさを開発する実験として尻尾の研究をしています」。

「たとえば、フィジカルな能力などが現代人は低下していますが、一方で、猿から人間になる過程で進化したのは、他者や物に対する共感性です。そこで、自分の物ではない新奇な異物(尻尾)に対しても共感性を働かせ、次第に認知、操作できるようになるのではと考えました。そして更に、自分がが尻尾を動かせるようになると、それを学んで隣の人も動かせるようになる。そういうふうに、共感性を通じて異物な存在が人や集団のなかに取り込まれ、伝わっていきます。つまり文化や文明が生まれる原点がそこにあるのではないかと考えています」。

人間とは何か。文化とは、文明はなぜ生まれてきたのか。これまで極めて文系的思考の中で考えられてきた根源的な問いに向かって、科学的アプローチで臨んでいく。
しかしそこに流れているのは、柔らかな脳というとてもロマンティックなフレーズだ。完全に解明されてはいないとはいえ、一歩づつ確実に人間の脳の可能性が広がりつつあるのを感じた。そのひとつの成果が再生医療という道につながるのであろうし、また“人”そのものの存在理由の解明という哲学的な答えへの科学からの回答になっていくのではないか。

「私はずっと大学の研究室にいるので、学生気分が抜けずにG-SHOCKを愛用してきたのですが、ぼちぼち大人の時計が必要な歳かもしれませんね」。
そう言って左手にはめたOCEANUSを見る牛場先生。

「海外の時間を同じ時計の中で感じながら、向こうの研究者とメールや電話のやりとりをするのも、時間をコントロールする感覚があって楽しいですね」。
ひょっとすると時間という概念自体、脳が作り出したロマンティックな概念なのかもしれない。

Text: Y.Nag | Photography: Masashi Nagao

牛場潤一
[慶應義塾大学理工学部 准教授]

脳科学者/博士(工学)

1978年東京都生まれ。治療が困難とされている病態脳にも可塑性があることに注目し、怪我や病気によって生じた重度運動障害を治す手法を発見。平成27年、文部科学大臣表彰による若手科学者賞、受賞。近年では研究対象を更に広げ、身体や環境の特性に応じて脳が柔らかにその性質を変えていく「可塑性」の理解を通じて、人間の文化や文明が形作られる仕組みを解き明かそうとしている。

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